オッカムの剃刀
オッカムの剃刀という名前は、フランシスコ会修道士オッカムのウィリアムにちなんでいる。ウィリアムはフランシスコ会に入信した後にオックスフォード大学で神学を学び、最も単純な答えを選ぶという考え方を取るようになった。ウィリアムはこの原理を情け容赦なく当てはめて中世哲学の大部分を打ち壊し、悪名を轟かせた。そして彼の死からおよそ300年後にフランス人神学者のリベール・フロワモンが、余分な複雑さを削ぎ落とすというウィリアムの考え方を表現した「オッカムの剃刀」という言葉を考え出した。
今日ではオッカムの剃刀は「不必要に要素を増やしてはならない」という形で最もよく知られている。ここでいう要素とは、何らかの特定の体系に対する仮説や説明、あるいはモデルを構成する各要素のことである。ウィリアムは「不必要に複数の事柄を仮定すべきでない」「少数の事柄でなし得ることを多数の事柄で行うのは無益である」などの言い回しで表現している。
「単純さ」は実験と並ぶ科学の一道具であるというだけでなく、数学にとっての数や音楽にとっての音符のように、科学にとって中心的な役割を果たしている。科学と、この世界を理解するそれ以外の無数の方法とを分け隔てているのは、詰まるところ単純さだ。1934年にアインシュタインは「すべての科学の大目標は、できるだけ少ない数の仮説や公理からの論理的演繹によってできるだけ多数の経験的事実を説明することである」と力説した。オッカムの剃刀は、その「できるだけ少ない数の仮説や公理」を見つけるのに役立つのだ。
オッカムのウィリアム
ウィリアムは1288年頃、ロンドンから馬に乗って南西に1日ほど進んだところにあるサリー州の小村、オッカムで生まれた。ウィリアムに関して分かっている最初の具体的な事実は、おそらく11歳頃にフランシスコ会に入れられたことである。
ウィリアムはロンドンのグレイフライアーズ学寮(高校と大学の中間のような機関)で、おそらく3〜6年をかけて三学(文法、論理、修辞)と四学(音楽、算術、幾何、天文)を修めた。教師たちから高く評価されたらしく、その後、神学の博士号を目指す学生として選ばれた。グレイフライアーズ学寮はオックスフォード大学と緩い提携関係にあり、23歳のウィリアムは、この大学で学者または聖職者としての教育を受けて、卒業すると講義を行うよう求められた。
ウィリアムは「神学は科学であるか」という疑問に特に興味を惹かれた。ウィリアムは、全能の神には普遍など一切必要ないとした。普遍は我々が物体の集まりを指すのに使う単なる名前に過ぎないと論じた上で、「少ない事柄でできることをたくさんの事柄で行うのは無駄である。従って、知るという行為以外には何1つ仮定すべきでない」と論じた。さらに「多くの事柄を予測できるもの”普遍”はそもそも心の中にある」と指摘した上で、普遍は我々が物体を分類するのに使う名前でしかないと力説した。そのためウィリアムが推進したこの中世の哲学体系は「唯名論」と呼ばれている。
ウィリアムは剃刀を使って普遍の土台をなす論理に攻撃を加えた。普遍は精神の外側には存在しないのだから、思考と現実を混同しないよう「不必要な普遍を増やすべきではない」と訴えた。これがオッカムの剃刀の根底にある核心的な考え方である。現実に対する説明やモデルに組み込む要素の数は最小限に留めるべきである。ウィリアムは剃刀を一度当てるだけで、中世の哲学や科学にはびこっていた膨大な数の雑多な要素を剃り落とし、この世界をはるかに単純かつ理解しやすいものにした。それまで何百年にもわたってスコラ哲学者たちは普遍や範疇とは何かについて論じ合ってきたのに、ウィリアムはその取り組み全体を時間の無駄だとして切り捨てた。
ウィリアムは実在論を打ち砕くだけでは飽き足らず、科学の仮面を被った神の存在証明にも攻撃を加えた。科学と宗教は根本的には相容れず、互いに折合わせるのは不可能であると唱えた。ウィリアム以前には誰1人として、宗教から科学を分離するという、現代科学の土台となる思想を明確かつ的確に訴えることはなかった。
この世界は本当に単純なのだ
科学において単純さを重視するという揺るぎない考え方は比較的最近になって生まれた。それはオッカムのウィリアムが、中世の教義に絡みついた埃まみれの蜘蛛の巣を吹き払い、もっと無駄がなくて切れ味の良い科学を進めるための余地を与えてくれたからに他ならない。オッカムの剃刀を手にした科学は、不可解な宇宙を道理づけ、その価値を証明してきた。
オッカムの剃刀は至るところに転がっている。あらゆる時代にあらゆる場所で進歩を妨げてきた勘違いや独断、偏狭や先入観、信条や誤った信念の藪を切り拓いて道を敷いてきた。単純さが現代科学に組み込まれたのではなく、単純さそのものが現代科学、ひいては現代の世界なのだ。