中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

発刊
2011年11月19日
ページ数
320ページ
読了目安
478分
推薦ポイント 24P
Amazonで購入する

Amazonで購入する

1000年前から続く中国のしくみが世界を制する?
1000年以上前に中国で導入された自由競争社会のしくみを「中国化」というキーワードで表す。現在、世界標準となっている「中国化」のしくみと、これまで日本はどのように関わりを持ってきたかを紹介。歴史の中で日本がどのような社会制度を持ち、発展してきたか、これからどうなるのかを論じている。

「中国化」とは

世界で最初に「近世」に入った地域は宋朝の中国である。宋で導入された社会のしくみが、中国でも、日本以外の全世界でも、現在まで続いているとさえ言える。宋の画期的なしくみとは以下の通りである。

①貴族制度を全廃して皇帝独裁政治を始めた
②経済や社会を徹底的に自由化する代わりに、政治の秩序は一極支配で維持した

宋朝時代の中国では、世界で最初に身分制や世襲制を撤廃した結果、移動の自由・営業の自由・職業選択の自由が広く行きわたった。自由と機会の平等を与え、自由競争の社会になった。一方で、政治的な自由は強く制限された。
宋では自由競争で振り落とされた時の保険のため、父系血縁ネットワークという同族でお互いに助け合う仕組みを発展させた。

 

日本人は江戸が好き

日本では戦国時代以降、中国的な社会とは180度正反対の、日本独自の近世社会のしくみを定着させていった。

江戸時代、稲作普及によって、地元で自分の田んぼの管理さえきちんとしていれば、基本的に食べていけるという環境が整い、中国式の自由市場社会の魅力が薄れた。欲を張らなければ、子孫代々そこそこ食べていける家職や家産が百姓にまで与えられた。こうして人々は、身分制社会(封建制、村請制)を受け入れていった。

しかし、この制度で食べていけなかったのが、次三男である。その不満が、やがて明治維新を起こす。明治の日本は「西洋化」という看板を掲げた「中国化」を普及させた。
ところが明治の半ば頃から、日本社会は「再江戸時代化」していく。大正時代には、重化学工業化のおかげで、次三男にも家を持たせることができるようになり、昭和には、企業の長期雇用と低い離婚率によって、みんなが「封建制」というセーフティ・ネットの恩恵を受けられるようになった。

 

「中国化」する日本

1979年、英国は社会福祉を削って国有企業を民営化する「新自由主義」と呼ぶ市場主導の経済運営に着手。2年後には米国も続いた。国家による保護を打ち切って市場での競争に委ねる政策は、1978年に鄧小平が打ち出した方針である。つまり、世界は顕著に「中国化」し始めた。

この変化に気付かずに日本だけが「新しい江戸時代」の基本構造を改めないまま、低迷している。政治家も日本を「中国化」させ自由競争中心の社会にしたいのか、「再江戸時代化」を維持した安定社会にしたいのか考えずに、政治不信ばかりが募る状況になっている。

破綻しかけている年金制度、福祉代替機能を失った企業、セーフティ・ネットとなる家族の減少など、江戸時代的な生活保障が崩壊した今日、行き着く先は「中国化」なのか。どうせ中国化するなら、明るく前向きな中国化にしたいものである。

参考文献・紹介書籍